この度は、ホームページをご覧いただきありがとうございます。
ページ上部は略歴、下部には私の音楽経験について記してみました。
よろしければお読みください。
●略歴
・5歳からピアノを始める。(専門はクラシック)
・中学、高校は吹奏楽部に所属し、サックスを担当。高校時代は副部長も務め、吹奏楽コンクールにも参加し代表に選出されるなど様々な音楽経験を得る。
・高校卒業後は大阪音楽大学(ピアノ専攻)へ進学。
・クラシックピアノを大江裕子、故木村綾子、ポピュラーピアノを井本英子、チェンバロを秋山麻子の各氏に師事。
・吹奏楽やソロサックス、ソルフェージュのレッスンも受講。
・在学時から学内外問わず、様々な演奏会に出演。
・現在は、数々の指導者セミナー受講・登壇、コンクールスタッフ・運営を行い研鑽を積みながら、自身の教室と川西市の音楽教室にて指導にあたる。
・2023、2024年度ピティナ指導者賞受賞
・2022年度ピティナ新人指導者賞受賞
・2021年〜 ブルグミュラーコンクールレッスン賞(指導者賞)受賞
・2022年〜バスティンピアノコンクール指導者賞受賞
・全日本ジュニアクラシック音楽コンクール優秀指導者賞受賞
・バスティンマーク取得
・全日本ピアノ指導者協会(PTNA)正会員
・カワイ指導・演奏グレード所有
・カワイ音楽教室研究会(カワイの教材は使用していません。また、カワイの指導方法で指導はしていません)
・全日本ジュニアクラシック音楽コンクール審査員
・ピティナピアノステップアドバイザー
・ピティナうめききたステーション代表
・ブルグミュラーコンクールうめきた地区事務局代表
●生徒の皆さんの活躍
・ピティナピアノステップ各級合格
・ピティナピアノコンペティション、A2級・A1級・B級 全国大会入選、本選奨励賞、本選優秀賞
・ブルグミュラーコンクール ファイナル金賞〜奨励賞入賞
・バスティンピアノコンクール 全国大会 特別優秀賞〜努力賞入賞
・全日本ジュニアクラシック音楽コンクール、全国大会3位〜奨励賞入賞
・ベーテン音楽コンクール 全国大会2位〜5位入賞
・日本バッハコンクール 全国大会金賞受賞
・保育士免許合格(弾き歌い・ピアノ実技を指導)
・そのほか、学校の行事などでピアノ伴奏やピアノパートで活躍する子多数!(伴奏のレッスンも希望があれば行います)
※コンクール等は、みなさんにご案内はしますが強制はしていません。
生徒さんからの希望があった時は良い経験になるよう全力でサポートさせていただきます。
※また、コンクール等は上達のための手段として使用しています。
結果に捉われすぎて今後の成長の妨げとなると判断した場合は出場をお断りする場合があります。
●好きなもの
・食べ物…あんこ(チョコレートとマシュマロが苦手です)
・色…茶色・緑・白
・音楽…フランス近代(ドビュッシーやプーランクを特に勉強しました)
・ピアニスト…Krystian Zimerman、Walter Wilhelm Gieseking、木村綾子先生
●その他
・Instagramアカウント @konomi_pf
・テレビ制作会社、MBS企画YouTubeチャンネル「ぷくすけ!」が送る企画「おたふきゅ」にサポートとして参加
私と音楽
私の音楽と出会ってから現在まで
どんな経験をしてきたかを記しています。
長くなりますのでご興味がありましたらご覧ください。
●幼少期 〜ピアノとの出会い〜
5歳(年長)の頃、ピアノをはじめました。
小さい頃、兵庫県にて阪神淡路大震災を被災し、大阪に越してきて途中入園した幼稚園ではあまり馴染めず、幼稚園ではずっと先生に抱っこされていた記憶があります。
そんな私が唯一心を開けた大人が当時の先生である大江裕子先生でした。
先生は内気な私に対して辛抱強く対応してくださり、結果音楽の道を進めるよう導いてくださりました。
ピアノは、内気な私が家の外で唯一自己主張をできる手段だったかもしれません。
練習には集中できていなかったと思いますが、当時習っていた先生からは音楽が好きという気持ちは十分育てていただきリビングでピアノのCDを流しながら飛んだり跳ねたりしていたのを今でも覚えています。
●小学生 〜将来の夢〜
人見知りは相変わらずで、スイミングなどの集団での習い事は苦手でしたが、ピアノは継続できていました。
両親共に音楽と関わったことがなく、練習を促すことはあっても(サボったらピアノに鍵をかけられていました笑)、内容を見てくれることはありませんでしたが、結果的には伸び伸びと楽しめていたと思います。
(たまにご相談いただくのですが、音楽経験のない保護者さんでもお子様がピアノを習うことは、何も心配無いと思います)
妹が生まれ、子供ながらに小さい子の面倒を見ることが好き・何かを教えることが好きだと気が付き、
学校で書いた将来の夢は「幼稚園の先生かピアノの先生になること」でした。
緊張しやすい性格でしたが、先生からの勧めもありこの辺りから、
発表会だけでなく「ピティナピアノステップ」に出ることになりました。
大勢の前で何かを発言することは苦手でも弾くことはできる、と自信を持つことができたと思います。
●中学・高校 〜吹奏楽部入部〜
中学校に入学し、私の音楽人生において重要なもう一つの重要な楽器に出会いました。
幼馴染に誘われ、吹奏楽部に入部した私が担当した楽器は「アルトサックス」でした。
これまで音楽は1人でやるものだと思っていましたが、様々な音色、大勢で一つの曲を作り出すことの楽しみを体験しました。
中高ともに毎月のように本番やコンクールがあり様々な舞台を経験。
高校生の頃は副部長も務め、入部した頃は地区大会でさえ賞の取れない弱小校でしたが、部員と協力し先生のご指導のお陰で代表選出されるまでになりました。
その時、音楽における「息遣いの大切さ」「良い音色とは何か」など一音に対する追及をすることの大切さを学びました。吹奏楽との出会いは私の音楽観をかなり変えてくれたと思います。
そしてそれはピアノから離れていた時期になりました。
当時、先生はそんな私に叱ることもなく「続けていることが素晴らしい」と暖かく見守ってくださり、発表会はピアノの枠と追加してサックスでの出演枠も用意していただきました。(後に音楽大学で副科としてサックスを専攻)
楽器は違えど、あの経験があるから、様々な音色を出すことの楽しみ、息遣い、一音一音への拘りなどたくさんのことを学べたように思います。
このような時期を経験したことから、ピアノに限らず「何かに打ち込むこと」を大切にして欲しいと思いながら日々指導にあたっています。
●大学生 〜恩師との出会い〜
高校卒業後は大阪音楽大学へ入学しました。
そこで出会ったのが二人目の師、木村綾子先生でした。
先生の門下に入ってから受けたレッスンは教師というよりプロのピアニストのレッスンで、たくさんのことを教えていただきました。
音楽大学での生活はとても刺激的な毎日で、毎日が音楽尽くし。
大学が大好きでお正月やお盆休み以外は朝の8時から21時まで毎日大学の練習室へに通っていました(笑)
ピアノだけでなく、ソルフェージュや指導法の勉強、音楽教室へのインターンシップ、ポピュラーピアノレッスン、他専攻の方の伴奏、イベントやライブのサポート出演様々なことを経験しました。
初めて音楽をお仕事として働かせてもらえたのもこの頃でした。
またサックスや吹奏楽も継続して受講していました。
家から近いこと、高校生の時に吹奏楽をご指導いただいた先生の出身校が大阪音大だったことなど少し軽い気持ちで決めてしまった大学でしたが、師匠や仲間との出会いは本当に私にとって宝物で、今でも母校が大好きで、感謝しています。
●大学卒業後 〜夢のピアノ講師に〜
大学卒業後は、1年アルバイトをしながら生徒募集をしていました。
もちろん音楽教室などに勤めてそれだけに集中することはできなくもなかったのですが、これから接する方々は音楽を生業としている方ばかりでない、お客様への接客も学びたいと思い、飲食店で接客業をしながら夕方からはレッスンをする生活をしていました。
1年後、ありがたいことに生徒が集まってきたお陰でお店は卒業し、出張レッスン含め、3教室掛け持ちで常時約60名指導させていただくようになりました。
その頃からピティナに入会し、指導者セミナーなども頻繁に受講しております。
生前、師匠は常に「生涯現役」「時間は作るもの」と仰っていました。
先生に倣って、現状に満足せず常に生徒たちと勉強し、成長し続けていきたいと思っています。
●現在
2021年3月に出張レッスンを行っていた教室を卒業し、4月より自身の主宰する教室と、新たにご依頼いただいた兵庫県川西市の音楽教室にて3歳から70代の方まで指導させていただいています。
生徒の皆さんのお陰で毎日がとても楽しい日々で、ピアノの先生は自分にとって天職だと思っています。
100名を超える方を指導させていただいた経験から、目先の結果にとらわれず数年後、生徒と保護者の方から「先生に習ってよかった」と思ってもらえるように指導していきたいと思い日々指導しています。
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